『東大合格はいくらで買えるか?』で改めて考えさせられる中学受験の存在

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「上位層の救済」が求められる世界の存在

「上位層の救済」としての中学受験。本書の第4章でW・Tの発言として紹介された内容です。私は、この表現がとても印象に残っています。

私は、地元の公立小中学校で過ごし、高校も実家から自転車で通える距離の公立高校に進学しました。私の住んでいる埼玉県は、いわゆる「公立信仰」が強く、勉強の得意な人ほど有名な公立高校に進学することが望ましいとされる傾向があります。そのため、中学受験をする人は多くなく、私が通っていた小学校でも、中学受験をして実際に私立中学校に進学したのは1割からせいぜい2割程度でした。それに、受験した彼らも、「救済」の必要な上位層は正直言ってそう多くなく、東京に行きたいとか、(その内実については知るべくもありませんが)親御さんのご意向とか、それくらいの理由で受験したにすぎなかったように思います。これは、私の地元の中学校が、公立としてはかなり落ち着いた環境で、そこをあえて避ける必要がなかったのも大きいでしょう。

そのような中で育った私にとって、中学受験が「上位層の救済」として機能する世界があることは意外でした。このこと自体は、東大に入ってから重々知らされていたものの、本書の記述でまた改めて認識させられたといったところです。

私が意外に思ったのは、「救済」が必要なほど飛び抜けて勉強の得意な人がいること、そしてそのような人が特異な存在として居心地が悪くなるような環境があることです。

前者について、幸か不幸か、私は少なくとも高校に入るまでそのような人に会ったことがありませんでした。私の通っていた小中学校には、計算がとても早い人やアイデアマンなど様々な「すごい」人がいましたが、「救済」を要するほど特別ではなかったように思います。また、これは明確に幸いなことに、私の母校は、いずれも公立としてはかなり落ち着いた環境で、私を含む多少変わった人をそれなりに受け入れる土壌が整っていました。すなわち、勉強やスポーツなどが出来すぎる人を、「出る杭」として打ちにかかることはあまり見られなかったのです。

しかし、東大に入り、また本書の記述を見るにつけ、かつての自分には全く想像できないほど勉強の得意な人がおり、かつ、そんな彼らを受け入れられない環境があったことを知りました。

そのような世界を知らなかった時点までは、中学受験はやりたい人、家庭的な事情のある人などがするもので、それ以外の人は別にしなくていいのでは、くらいにしか考えていませんでした。しかし今では、確かに「救済」としての中学受験はありえて良いとかんじます。ともすれば金満な親の自己実現の手段方法として悪く描かれがちな中学受験ですが、ある意味「必要悪」的な存在なのかもしれません。

「受験はあくまで自分でやるべきもの」への違和感

前述したとおり、中学受験は、親の自己実現にすぎない、子どもの意志が伴っていないとして批判されがちです。私自身も、子どもが明確に嫌がっているのを無理やり塾に引きずってまで受験させているとしたら、そこには抵抗感があります。私の周りの、そのような経験をした大学生も軒並みこれには批判的です。

しかし、ここで「自分でやる」というとき、その意義は案外限定的であるようにも思います。言い換えれば、「自分で」やったように思えることも、実は純粋にオリジナルな意思によるものではないのではないか、ということです。

例えば私が東大を志望したのは、一方では自分の意思であると自信をもって言えます。しかし他方、その「意思」の源泉を辿ると、東大に対して期待を寄せ、東大がトップであるとする世間や親、先生などの言説の影響が少なからずあると気づくのです。こうした言説に無意識のうちに引っ張られて東大を選んだ場合、これは「自分で」受験したと言えるのか、やや疑問があります。

最終的にある行動をとったという意味では確かに「自分で」やっていても、その源泉においては他者の影響から逃れられない。ここに注目すると、親にやらされる受験と「自分でやる」受験とは、案外大差ないのではないかと思いました。親にやらされるといっても、大抵の場合は、親に引きずられてきた子供が最後の最後で親を慮りつつ「自分がここに行きたい」と言ってみることもあるでしょう。逆に、自分の意思で(中学受験にかかわらず、高校や大学その他の)受験を決断したようでも、そこには周囲の人間の思いに応えんとする意思が原動力の大部分を占めることもあるはずです。

要するに、私は、「自分でやる」ことの意義をあまり強調しすぎない方がいいのではないか、と思っています。自ら選択したこと、自律していることそれ自体が価値だと強調しすぎると、それが出来ない人が苦しんだり、そもそも本当に自律しているか怪しいケースを散見することになったりしかねません。私は、最終的に本人にとって良い結末になっていれば、それでいいようにも思います。やらされた受験だろうが、自ら選んだような受験だろうが、本人が納得できる結末を迎えられるのを願うばかりです。

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この記事を書いた人

現役時、進路を見つめ直した結果、センター試験の2日後に突然東大受験を決意。1浪の末東大へ合格し、現在は法学を専攻。法律の文章や日々の雑談を含め、「ことば」と向き合うのが好き。趣味はお昼寝。

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