さまざまな業界・分野で活躍されているプロフェッショナルの皆様に東大生がインタビュー!
お仕事の内容や学生時代からの歩みなど、ここでしか聞けない内容盛りだくさんでお届けします。
今回は、被災地を花火で元気づける「LIGHT UP NIPPON」企画、長崎県壱岐市のイルカパークの再建など、さまざまな事業に取り組まれている高田佳岳(たかだ・よしたけ)さんにお話をお伺いしました。海を好きになったきっかけやイルカパークへの想い、今後実現したいオルタナティブスクールの構想など、高田さんの「過去・現在・未来」に迫ります。
IKI PARK MANAGEMENT株式会社代表取締役 高田佳岳さん
東京水産大学、東京大学大学院で海洋について学び、卒業後は博報堂に就職。
2011年、東日本大震災直後、子どもたちのために被災地で花火を上げる企画「LIGHT UP NIPPON」を立ち上げる。2015年には広告プロデュースやプランニングを主力事業とする株式会社ハレを創業、代表取締役に就任。
2018年からは長崎県壱岐市に移住し、イルカパークの運営を行うIKI PARK MANAGEMENT株式会社の代表取締役を務め、イルカパークの再建、壱岐市の地域活性化に携わる。
挑戦し続ける人の原動力とは —過去の経験や想いに迫る
——イルカパークを訪れ、まず感じたのは海やイルカへの愛情でした。高田さんご自身が海やイルカを好きになられたきっかけをお伺いしてもよろしいでしょうか。
きっかけは幼少期の頃に見た「図鑑」でした。小さい頃よく見ますよね。小学校3年生の時、静岡の岩場に初めて潜ったんですが、その時、海の中では、図鑑そのままの光景が広がっていました。その世界を見た瞬間、海にハマってしまって。
この出会い以降、海に潜ることや、海の中の生き物に対する興味が強くなり、一回も途切れることなく海に行き続けています。大学も迷うことなく、海の生き物について学べるところへ進学しました。会社に勤めていても、休日に海に潜りに行くほど、海に夢中でしたね。
イルカを好きになったきっかけは、高校3年生の時にフリーダイビングを題材にした「グランブルー」という映画に出会ったことです。その映画に出てくるイルカと人との描写に魅了されて、イルカが好きになりました。
——大学や大学院では、大好きな海の生き物について学ばれていたとのことですが、研究者ではなく就職の選択をされたのはなぜだったのでしょうか。
本当は修士からそのまま博士に進み、研究という形で世界を深めようと思っていたのですが、一度今の若い時期に社会勉強をしてみたいと思い就職を選択しました。
就職活動の面接はすごく正直にやりました(笑)
入社面接も「どうしてうちに来たの?」という質問には「社会勉強です」とそのまま答えましたし。「何ができるの?」という質問には「心と体は強いと思うので営業できます!」といった感じで。僕だったらアザラシの話とか自分の分野の話はいくらでもできるけど、相手の土俵である企業理念や事業内容は突っ込まれてもわからないので、自分の土俵の話に厚みを持たせてました。そんな風に就職活動をしてまして、最終的に博報堂に入社しました。
——博報堂での経験はどうでしたか。
博報堂で学ぶことができてよかったと思っています。広告業界ときくとテレビCMとかをイメージする方もいるかもしれませんが、僕が入社当時やっていたのは、そういう華やかなものではなくて(笑)テーブルの上に置く卓上ポップや、陳列棚でみかけるスイングポップなど、いわゆる広告代理店の仕事の中でもボトムの仕事でした。
こういうお客さんの手元に届く前の最終段階の仕事って、点数も多いし、スケジュールもタイトで中々大変で。でもこの経験のおかげで、ゴール直前でどんなことが起こるか想像できる状態で、仕事ができるようになったので、規模が大きくなっても対応できる力がついたと思います。
——LIGHT UP NIPPONも博報堂にいらっしゃった時に開催されたのですか?
そうですね。LIGHT UP NIPPONも、間違いなく、先程話したような経験をしたからできたことだと思います。どういう流れで最終的にお客さんに到達するのかっていうのがイメージできているので「お金とスケジュール」だけハマればなんとかなると確信してましたね。
スケジュールは準備期間が4ヶ月と決まっていたので、お金について考えました。「◯◯円集まったら実施する」と決めてしまうと、到達しなかったときに、実現できなくなってしまうので、金額のゴールは決めませんでした。
極端な話、もし1000円しか集まらなければ「コンビニで花火を買ってやればいいや!!」とか「借金もいくらまでならできるでしょ!」とか思っていたぐらいで(笑)「自分で集められる全額」を投じればいいと思ってたので、「開催できない」という考えはなかったんです。
——高田さんのLIGHT UP NIPPONへの強い想いを感じます。その原動力はどのようなものだったのでしょうか。
当時、避難所に行くと、遊んだり笑ったりしている小さい子どもたちがたくさんいました。ちょうどその頃、知り合いの小学校6年生の男の子に、「花火をあげたいんだよね」と話したら、「花火上がるの?!」とすごくテンションが上がっていたんです。
東京では自粛ムードの中で花火を上げるなんて…と非難されてしまったり、東北でも、花火はまだ早い、不謹慎じゃないかといった声もあったのですが、子どもたちは花火を心から楽しみにしていました。
僕の原動力はひとえに、「子どもたちをとにかく笑顔にしたい」ということだったと思っています。子どもたちが笑っている様子って、最高じゃないですか。大人にはもちろん色々な思いや考えがあると思います。ですが、僕は子どもたちに大人の考えを話すのではなく、子どもたちの笑顔のために頑張りたいと感じていました。
——新しいことに挑戦するのが怖いと思われる方もいらっしゃるのではないかなと感じています。私自身、かつてそのことにとても悩んでいました。そんな私にとって、高田さんの挑戦や行動がかっこいいと感じたのですが、挑戦への想いをお伺いしてもよろしいでしょうか。
基本的に、やりたい!って思ったら、全部一回やってみるんです。ダメだったら辞めればいいだけなので。もちろん、あまりにも大きい事業なら別だと思いますが、今自分自身が取り組んでいる規模では、少なくとも「やりたい」という気持ちを大切にしています。
動くことで失うものは何もないと思うんです。ただ、その「動く」時にコツがあると思っています。
——どんなコツでしょう?
例えば、コップがあるとします。これはガラスで作る方がいいとあなたが思っていたとしますよね。その時、「ガラスは◯◯なので、ガラスがいいです!」という1つの理由しかないと、もしガラスがダメ!と言われた時に何もできなくなってしまいます。
なので僕は「1つだけで勝負しない」ということを心がけています。常に1ではなく、少なくとも10個の選択肢や理由を持っておくのです。その状態で動き始めると、もし予想外のことが起きたとしても、「次はこういうのはどうだろう」と別の切り口をだせますよね。
さまざまな提案を繰り返しているうちに、相手が心の底で感じていた要望が分かってくるんです。そうすれば、相手にピッタリなアイディアを出せるし、会話を続ける中で、お互いの気持ちやアイデアが一層パワーアップして、いい方向に進んでいくと思うんです。
つまり、自分の中にあるアイデアが少ないと、相手の気持ちを引き出すこともできないし、引き出せてもその気持ちにぴったりな選択肢を出せなくなってしまうと考えています。言葉の選び方なども意識しながら、様々なアイデアを持っておくことが大切だと感じています。
——挑戦への思いやアイデアについてのお話、とても勉強になりました。アイデアをいくつも考えることは、目標や夢を叶える上で重要なことなのですね。
自分のアイデアをつい抱え込んでしまい、周りに話すことを躊躇ってしまう方も多いのではないかなと思っています。ですが、僕はアイデアはどんどん言った方がいいと思っているんです。
アイデアって、「こんなことをしたら楽しい!」という気持ちから生まれますよね。自分の中だけで考えているすごく楽しい世界があっても、実現できないともったいないじゃないですか。
もし自分で叶えられなくても、その楽しい世界を周りに伝えて、できる人にやってもらえたらそれでいいと思いますし、支えてくれる人が現れるかもしれません。 それを僕は、アイデアを盗まれたとは思いません。そのアイデアによってより良い世界ができて、その世界ができたことによって、自分はさらにもっといいことを考えられると思うんです。なのでアイデアをどんどんシェアしていますし、動く前にアイデアを公開することで自然と歩むべき道も見えてきたりすると思っています。
イルカとの出会いが変えた人生 —現在の活動と想いとは
<壱岐イルカパークとは?>
壱岐では、漁師生活を守るための捕鯨やイルカの駆除が行われていた。これについて世界から批難されたことがきっかけで、イルカとの共存を可能とするべく、28年前に市の施設としてイルカパークをオープン。しかしその経営状況は悪く、毎年イルカが亡くなるような状態であった。そのような現状をなんとか打開したいと考えた壱岐市職員は、海洋に詳しい高田氏をイルカパーク再建のリーダーとしてアサイン。2019年からイルカパークのリニューアルが開始されることとなった。
——イルカに魅了されたきっかけとして、先ほど映画のお話をされていましたが、現在のイルカパークとはどのようなきっかけで出会われたのでしょうか。
当時僕が日本中の国境離島を回るという仕事をしていたこともあり、壱岐市役所の職員の方から、イルカパークに関するお話をいただきました。僕は飼われている動物を見るのが少し苦手で、施設のイルカたちは可哀想な状況に置かれていることが多かったため、イルカパークには行かないと心に決めていたんです。ですが、職員の方が情熱的で何度もお話をしてくださったので、イルカパークを訪れることにしました。そこで出会ったイルカがもう可哀そうで仕方なくて。
当時、イルカたちはすごく狭いところで暮らしていたんです。やっぱり一度状況を見ちゃうと、イルカたちがこのままここで生涯を終えてしまうのは可哀想すぎるって強く思いましたし、まずは、広いところに出してあげなきゃと思ったのが始まりでした。
——そうだったのですね。高田さんはイルカパークを始めるにあたり、トレーニングから学ばれたとお伺いしたのですが、それはどのような経緯だったのでしょうか。
僕はもともと広告代理店に勤めていたので、デザインや絵、物作りという部分ではアイデアを考えるのが得意だったのですが、イルカとトレーニングの世界のことは全くわかりませんでした。僕はイルカが狭いところで暮らしているのが可哀想と感じてしまいましたが、トレーナーにとっては、飼育場所を狭くするのはイルカの健康管理のためだと考えていたり。トレーナーと考えがぶつかってしまうこともありました。
そこで、トレーナーの考えの背景を知りたくて、色々な水族館や施設を訪れ、経営者の考えを聞いたりしたのですが、中には商売を優先するために、飲食店の席数を考えるようにイルカの頭数を考える経営者もいらっしゃて、その現実に愕然としました。
トレーナーのみんなにも日本中の施設に行ってもらいましたが、僕が考えるイルカとの付き合い方をしている場所は見つからなかったのです。そんな時、ハワイのイルカの施設を訪れたことが転機となりました。ハワイの飼育施設は、日本と全然違うんです。根本的な考え方も違うような気がしはじめました。その後、フロリダのドルフィンリサーチセンター(以下、DRC)というところをトレーナーから聞き、すぐに訪れることにしました。
僕たちの答えは、全部DRCにあったのです。日本のイルカへの考え方とは全く異なっていました。
——DRCとの出会い後、どのようにイルカパークの改革をはじめられたのでしょうか。
僕は専門家でもなく、イルカやトレーニングにおいても素人です。だからこそ、他の水族館が取り組まないようなことに挑戦してみようと思いました。
まず、DRCのリレーションシップベースドトレーニングをトレーナー全員に受けてもらったんです。イルカと人間に主従関係を生み出すのではなく、「友好関係」を築くトレーニングです。これは、日本の施設では滅多に取り入れられていません。トレーニングを通して学んだ全てをイルカパークに取り入れて、改革をはじめました。
——DRCのトレーニングを通し、実際にどのような変化が生じたのでしょうか。
トレーナー全員にDRCのトレーニングを受けてもらったあと、実際に学んだことをイルカパークで実践していきました。ですが、トレーナーのみんなはDRCの方法が素敵に見えていて実践したいという気持ちとは裏腹に、今まで日本で一生懸命学んできた方法から抜け出すことが難しく、とても悩んでいたのです。
この悩みを解決してくれたのは「イルカ」だと思います。トレーニング方法を変えたことで、イルカの反応が少しずつ変わってきたんです。
信頼関係が失われ、人間からは餌さえもらえればいいと思ってしまったイルカたちが、餌のない状態でも人間に興味を持ってくれるようになったんです。
この変化を目の当たりにして、トレーナーたちも、新しいトレーニング方法を実践することに自信をもてるようになりました。
——イルカパークの改革を進めるなかで高田さんが悩まれたことはありますか。
イルカたちへのトレーニングを自分で学んだんですが、その学びがすごく有効だったと感じています。というのも、僕はこの会社を行うまで、チームで仕事をすることはあっても、マネジメントを行ったり、部下を持ったりすることはなかったんです。なので、トレーナーのみんなに、「どうしてアメリカであんなに素敵なものを見たのに、学んだことを実践できてないの?」ときつく聞いてしまったりして、指導をする上で一番してはいけないことをしてしまったこともありました。
一度そう言ってしまうと、物事はどんどん悪い方向に進んでしまって。そんな時ふとイルカを見ると、イルカだけはいつも通り過ごしているんです。そんなイルカたちに「また怒っちゃったなぁ…」と話しかけながら反省することを繰り返していました。
こういう時に立ち返ったのはイルカのトレーニングだったんですね。イルカにしてはいけないことを誰かに対してしてしまっている時があり、イルカのトレーニングを心に留めて、会社や部下のことを考えていくことが自分にとってとても効果的でした。
——ここまで、水産を学ばれたことや広告業界に勤められたこと、イルカパークを運営されたことなど、高田さんの様々なキャリアをお伺いしてきましたが、高田さんがキャリアを歩む上で大切にしていることを教えてください。
面白い!と自分自身が感じるかどうかです。イルカパークのこともそうです。僕自身が壱岐に来たとき、イルカがあまりにも可哀想で、自分で何かを変えたい、変えたほうがいい、そしてそれが面白いと思いました。
人のため、社会のため、と考えるのではなくて、自分が絶対に面白いと思えるものを作っています。「僕は面白いと思うのですが、皆さんはどうですか?」というスタイルで今までずっと生きてきました。
何かをする時に収入やお金のことを考える方もいらっしゃると思いますが、僕は収入が少なくなったとしても、収入以外で手に入るものや、誰もやったことのない世界で面白いと思えるものを大事にしたいと考えています。なんでもトライしてみたらいいと思うんです。
なんて偉そうに言ってしまいましたが(笑)本当にダメだ!と思ったら、ものすごいスピードでカットして、がっつかないようにしています。やるぞ!って意気込んで一生懸命やっても、これダメだ!と気づいたらそこですぐやめてしまうんです。
——すぐに辞める選択も大切にされているんですね。
うまくいくときって、全てがうまくいきませんか?なので、もし何か少しでも躓いたら、その時点で何かがあるんだと思っています。なので、躓いた瞬間に、なぜ躓いたのかをすごく考えて、うまくいくための過程なのか、それともダメな時の虫の知らせなのかを判断することを大事にしています。
人生を振り返ってみると、すごく行き当たりばったりなんです。その都度その都度で何を基準に考えているかというと、やはり「面白い」ということと、あともう1つあげるとすれば、「自分にしかできないこと」という視点で考えています。僕じゃなくてもできることは、その分野でもっと優秀な方はいっぱいいると思います。だとしたら、それはその方たちに任せて、僕は自分にしかできないことをやろうと思っています。
「子どもの可能性を広げたい」—今後の壱岐でのビジョンとは
<イルカパークで行われている取り組み>
・イルカとのふれあいプログラム
・リトリート、セラピープログラム
・壱岐の自然を体験するキッズキャンプ(小学生向け)
・壱岐の海を教室とした海洋教育に関する授業
・イルカトレーニングの知見を活かしたビジネス研修(社会人向け)
・マリンスポーツやBBQ、キャンプなどの体験プログラム など他多数
——最後に今後の展望についてお伺いしていきたいと思います。キッズキャンプの延長として、オルタナティブスクールの構想があるとのことですが、具体的に教えていただけますか?
僕自身は大人になって、自分を変えることが難しいと感じる瞬間があります。ですが、子どもたちは可能性の幅を広げられれば広げられるほど、変われると感じています。
その思いを実現するための一つの計画が、オルタナティブスクールです。この活動では、学校教育を受けつつも、絶対に学校で教えてもらえないようなことを僕たちが教えるという形を目指しています。
——オルタナティブスクールでは具体的にどのような活動をされるのでしょうか?
「自然の中で遊ばせる」ことがメインです。キッズキャンプの時、最初は前髪を気にして、絶対に水は嫌!海には入らない!とか言っていた子が、キッズキャンプが終わる頃には、自分で海に飛び込んでたり。虫が嫌!といって叫んでいた子が、3日目くらいには草の上で寝っ転がって遊んだりしている姿を見て、子供って環境次第で変わるんだなと思いました。変化が早いのは、1人ではなくて、周りのみんながいることが大きいと思います。
なので、オルタナティブスクールでは、イルカに関わるのはもちろんですが、山や海で食べ物をとって、自分で作って食べたり。ツリーハウスを作るなどのサバイバル訓練をしたり。自然の中での経験を通して、ここは危険だな!っていうのを感じ取ったりする、感性を養いたいですね。
さらに、これをみんなで共同生活しながらやることが大切です。大きい子は、小さい子の面倒を見るとか、小さい子は自分に何ができるか考えるとか、普通の家庭じゃ絶対できないことをやりたいと思ってます。
——オルタナティブスクールの実現に向けて、悩まれていることや難しいなと感じられることはありますか?
僕たちのオルタナティブスクールでは、「学校に通う」ことを全く否定していない、ということを正確にお伝えしていきたいと思っています。オルタナティブスクールを作る、というと、学校の取り組みや学校の良さを否定するの?と思われてしまうことがあるからです。
僕たちは決して、学校に行くことを否定していません。ただ、学校が届けられる世界とはまた少し異なる世界を、このオルタナティブスクールを通して子どもたちに見せてあげたいと思うんです。壱岐以外の地域で、不登校になってしまった子がいたとしたら、学校とはまた異なる世界がこのオルタナティブスクールにはあるよと伝えたいなと思っています。そしてそれは、壱岐という地域を知ってもらう機会にもなるのではないかなと考えています。
——前例のない取り組みを始める時には、その取り組みへの想いを正確に伝えることが大切なのですね。
そうですね。また、僕は常々「プロのよそ者」という考えを心がけています。移住される方の中には、地域のことを考え、地域の人になろうとする方もいらっしゃると思いますが、僕自身は壱岐の外から来た人間として、イルカパークや壱岐でどんな事業があったらいいなと思うのか、その気持ちを大切に今後も取り組みを考えてみたいです。
——イルカパークやキッズキャンプのお話を伺うなかで、このような取り組みはイルカパークのみならず壱岐という地域ともつながる事業だと感じました。壱岐への思いをお伺いしてもよろしいでしょうか。
イルカパークを訪れるまでには、「壱岐を訪れる」「イルカパークを訪れる」という二段階があると思っているんですね。「イルカパークがあるから壱岐に行こう!」というように思っていただける状況はもちろん作りたいのですが、壱岐にいらしてくださった時に、その方の滞在時間をどれほど豊かに過ごしていただけるか、ということも考えなければならないと思っています。
ただ、地域で何か新しい取り組みを始める際によく生じてしまう問題があります。それは、「場所がない」という問題です。そのため、イルカパークはその「場所」を作る存在でいたいと思っています。
例えば、ワーケーションを始めようと思っても、それを実現できる場所がなかったりしました。そこで、「イルカパークではテレワークができます!」と発信することで、壱岐が取り組みたい事業の実現をサポートさせていただきたいと思っています。民間企業という強みを活かしながら、今世の中で必要だと思うことや壱岐にまだないものを作っていきたいなと考えています。そして壱岐をより多くの方に知っていただきたいと思っています。
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