【1分で学べる語源の話】「鬱」という言葉から広がる科学史

現代病とも言われる鬱病
今でこそ、心理的なストレスが原因だと解明されていますが、昔、特に中世以前に考えられていた鬱の要因というのは、今では考えられない言いがかりのようなものでした。

実際、古代ギリシアの時代から中世の頃まで、鬱の要因と考えられていたのは、ズバリ!黒胆汁です。と言っても「何それ?」となりますよね。このような、現代からすると突拍子もないようなことを言い出したのは、古代ギリシアの医師ヒポクラテス(前460-前370頃)です。彼の提唱した医学理論を一言でまとめると

人間の体の中には4種類の体液が存在し、その体液の不均衡によって体調の変化が引き起こされる

です。やはり、現代人からするとトンデモ理論のように感じるでしょう。
4種類の体液とは、血液、粘液、(黄)胆汁、黒胆汁です。
特に、黒胆汁が体内に溜まると人は鬱になると考えられていたため、鬱の治療法は「血を抜いて頭から黒胆汁を抜く」でした。

では、これと語源の話がどのように繋がるのか。
実は「鬱の」を表す英語として[melancholy]が存在し、この単語の語源を辿るとヒポクラテスの考えが直接的に残っていることが分かるんです。
[melancholy]を、古典ギリシャ語で書いて分解すると、

となり、この前半部分[melan]はを意味し、後半部[choly]は胆汁を意味します。

※古典ギリシャ語で「黒」。左から、男性単数主格「メーラース」、女性単数主格「メーライナ」、中性単数主格「メラン」。おそらく、ギリシャ語を勉強する際に初めて出会う不規則変化形容詞です

つまり、「鬱の」[melancholy]は、ギリシャ語で黒胆汁という意味なのです!
語源と全く違う意味ですが、その理由を深堀りすると当時の価値観やヒポクラテスの提唱した四体液説に帰結できるのはとても面白いと思いませんか?

おまけ「ユーモアの由来」

このような考え方が根幹となっていたため、1000年以上に渡って人格は体液[humour]の構成比によって決まるような考え[humorism]が広がっていました。これが語源となり、現代英語でも気質は[humor]と言います。

おまけ「ヒポクラテスの現代性」

現代から見て突拍子もないと言っても、当時から見ればヒポクラテスの考え方はとても現代的で自然科学的でした。

ヒポクラテス以前、一部の病気は【人々の経験不足と病気の不思議な性質のために】神的なものだと考えられていました。つまり、人々の体調は神様の気分によって良くなったり悪くなったりする、と考えられていたと言うことですね。だからこそ治療法は、生贄を捧げ、神に治してもらう、といった神的方法でした。

しかし、ヒポクラテスは著書『神聖病』にて、そういった病気の神聖性を否定しました。
【神聖病と呼ばれている病気についての事情は、つぎのとおりである。この病気は、他の病気とくらべて何ら神的でもなければ神聖でもないと私には思われる。この病気も他の病気と同じように自然を原因とし、そこから生じるのである。】
ちなみにですが、この文中で述べられている「神聖病」は現在で言う「てんかん」だ考えられています。

では、ヒポクラテスは、神聖病と言われていた病気、の原因を何に帰着させていたのでしょうか。それを説明するために考案されたのが四体液説なのです。この考え方の何がすごかったか、と言えばそれはズバリ医学にも科学的アプローチを持ち込んだ点にあると言えるでしょう。今では当たり前すぎる考えになっているのでパッとしないですが、そもそも「4つの体液の構成比によって体調を説明する」という論理的かつ多くの人間に合理的に受け入れられ得る体系を作り出したこと自体が「病気はなんか神様の気分によって決まるもの」と考えていた当時からすると、かなり革新的だったと言えるのです。
確かに、内容自体は先ほども述べたように、現代から見ると間違っているものばかりです。しかし、核となった考え方自体は現代の医学にも通じているため、ヒポクラテスは「医学の父」と呼ばれています。

【】は『ヒポクラテス全集』(大槻真一郎訳)より引用

この連載記事では、このような語源にまつわる文章を中心に執筆します。
多岐に渡る分野の言葉を紹介する予定ですので、楽しみにお待ちください。


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この記事を書いた人

東京大学理学部物理学科に所属。高校時代に生徒会長をした時の楽しさが忘れられず、学祭やイベントの運営に携わって仕事をすることが、至極の楽しみ。カルぺ・ディエムでは出版編集部に所属し、よりクオリティの髙い書籍を出すことを意識している。趣味はピアノとゲームとスラック。

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