大学での研究って何するの?現代数学の考え方〜『抽象化』と『厳密性』〜

「大学って、どんな研究をしているんだろう?」
「“博士の愛した数式”みたいな世界って本当にあるの?」
「数学者って、毎日どんなことを考えているの?」

そんな疑問を持ったことはありませんか?
テレビや本で目にする“研究”という言葉。でも実際に何をしているのかは、なかなか想像しづらいものです。特に数学は、「難しそう」「抽象的すぎてよくわからない」と敬遠されがち。でも、それはまだ“入口”に立っていないからかもしれません。

この記事では、筆者は現在、東京大学大学院 数理科学研究科に在籍する現役の数学徒。歴史的な背景も交えながら、数学の世界の奥深さと面白さを、少しだけ“研究の内側”からお伝えします。

数学にちょっとでも興味がある人、研究職に憧れを持っている人へ。
ここから、一歩、学問の中へ踏み出してみませんか?

目次

はじめに

大学から始まる専門的な学問は、その習得に多大な努力が必要で一朝一夕にその全てを理解することは難しいものです。特に現代数学は、その難解さに加えて、図示の難しさなどから、アウトリーチ(研究者が一般の方々にわかりやすい言葉で研究内容や研究成果を伝える活動)では簡単な例を紹介する程度の手法しか取りにくく、「何が行われているのか」は実際に学んでみないと把握しづらい状況にあります。

そこでこの記事では別のアプローチとして現代数学で必要とされる考え方を説明し、どういった目的意識や問題意識を持って日々研究に取り組んでいるのかについて『抽象化』と『厳密性』の2つに注目し、現役東大数理科学研究科修士課程進学中の筆者が歴史的な背景をもとに解説をしていきます。

抽象化とは

ここで述べる『抽象化』は、考えている問題や対象の中から本質的に必要な情報を取り出し、他の状況やより一般的な状況でも通用するように、本質的な構造や特徴を取り出すという考え方のことを指します。

もちろんこの考え方は数学に特有のものというわけではなく、社会的な問題解決などでも本質的な問題や課題がどこにあるのかを見極めるということはとても重要です。

社会的な問題ではありませんが、中学数学でもそのような思考は垣間見えます。例えば二次方程式の解の公式というものがありますが、あの公式は「二次方程式は平方完成によって必ず解ける」という基本的な考えを抽出し、それを一般化したものです。結果として二次の項の係数が0でないならば、どのような場合であっても二次方程式を解くことができることを導き出します。これは個々の問題について、因数分解などの手法を用いてその場その場で解くという方法から非常に進歩したものとなっています。

しかし、個人的な考えとしては現代数学における『抽象化』は、そのようなものの中で最も抽象度の高いものだと思います。これは扱っている対象の抽象度の高さに加え、『抽象化』する、つまり特徴を取り出すということ自体が数学の研究の大きな目的となるからです。

この一例としてフェルマーの最終定理とラメの証明の失敗について解説しましょう。

昔、「フェルマーの最終定理」というとても有名な数学の問題がありました。それは、3以上の自然数 n について、xn+yn=zn となる自然数の組 (x, y, z) は存在しないという主張です。

この主張が本当に成立するのか否かという問題は、数学者たちを何百年も悩ませた難問でした。19世紀のフランスの数学者、ラメ(Gabriel Lamé)は、この問題を解こうとして、当時としては革新的なアイデアに基づいた証明方法を提案しました。その証明方法とは、「数をバラバラに分解して考える」というアイデアに基づくものです。

例えば、「12は2×2×3」といった具合に、自然数は素因数分解をすることができます。自然数に対する素因数分解は、「どんな自然数でも、一通りに(=一意に)分解できる」という性質(一意分解性)が成立するためとても便利です。ラメは、この一意分解性が、普通の自然数よりもっと一般的な数を考える状況であっても同様に成立すると信じていました。そして一意分解性を用いれば、フェルマーの最終定理を証明できると考えたのです。

ところが、ドイツの数学者クンマー(Ernst Kummer)が、もっと一般的な数の世界では、その世界の中で一意分解性が成立しないということを発見しました。これはつまり、ある数がその世界の中で2つのまったく違う方法で分解できてしまうような世界が存在するということです。ラメの証明は一意分解性を前提としていたため、その仮定が成り立たないと分かった時点で、証明自体も破綻することになったのです。

この例で挙げられた一意分解性のように、簡単な場合で成立する性質を『抽象化』することで、それを複雑化した場合での本質的な差が見えてくるのです。

このような歴史を通し、現代数学では『抽象化』という考えが基本となっているのです。

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厳密性とは

現代数学は、「厳密な論理体系」として広く認識されています。全ての命題は、明確に定義された概念に基づき、論理的な推論によって導かれることが求められます。しかし、この『厳密性』が当然視されるようになるには、長い歴史と大きな転換点が存在しました。その代表例が、非ユークリッド幾何学の発見です。

古代ギリシャの数学者ユークリッドは、その著作『原論』において、点・直線・角度などの基本的概念と、それらに基づく幾何学の体系を構築しました。そこでは、ごく基本的な「公理」(証明せずに前提とする命題)を土台に、多くの定理が導かれていきます。

その中に「平行線公準」と呼ばれるものがあります。これは、ある直線とその外部の一点を与えたときに、その点を通り直線と交わらない直線はただ一つだけ存在する、という公準(原則)です。古代以来、この公準だけが他の公理に比べて不自然に複雑であり、他の公理から導けるのではないかとする試みが長く続けられてきました。

18世紀から19世紀にかけて、数学者たちは新たなアプローチをとります。つまり、「平行線公準が成り立たない」と仮定した場合でも、整合的な幾何学体系が構築できるかどうかを探究したのです。ボヤイ、ロバチェフスキー、ガウスらの研究によって、平行線が無数に存在する幾何学(双曲幾何)や、一切存在しない幾何学(楕円幾何)といった、ユークリッド幾何学とは異なる整合的な体系が実際に構築可能であることが明らかになりました。

この発見は、単なる幾何学の拡張にとどまらず、「前提(公理)によって異なる数学体系が成立しうる」という認識を数学界にもたらしました。そして、「何が前提とされているのか」「そこから何が論理的に導けるのか」を明確に区別し、推論の正当性を一つひとつ検証するという、今日の数学の厳密な姿勢の基礎が築かれていったのです。

非ユークリッド幾何学の発見は、「当たり前」のように思われていた前提すら疑い、問い直すことの重要性を示しました。それは、数学という学問が人間の直感や経験則を超えて、自律した論理体系として深化していく転換点となったのです。

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まとめ

いかがだったでしょうか、こうしてみると数学のモチベーションは人間の素朴な好奇心に基づいていて、そしてそこで使われる考え方の基本も普段、日常生活で問題を解決する上で用いられるような考え方であることがわかりますね。

もちろん現代数学を学ぶためには、このような考え方の習得だけでなく、これまでに先人たちによって培われてきた成果を勉強することが必要不可欠ですが、この記事を読んで数学に関心を抱き、学び始める人が増えるなら、筆者としてこれ以上の喜びはありません。

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この記事を書いた人

東京大学数理科学研究科所属。靴下が嫌いなので、夏はほぼ毎日サンダルを履いている。そのため、一番好きな季節は夏。

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