大河ドラマ「光る君へ」で話題 〜興福寺の僧侶が藤原道長の元を突撃!?〜

みなさんこんにちは!
教育事業部の橋本です。大河ドラマ、面白いですよね〜!
物語も盛り上がりを見せて、どんどん熱くなってきています。そこで、普段講義で古文を教えたり、趣味で競技かるたをやっていたりする自分が、「光る君へ」の魅力に迫っていきます!

今回は、藤原道長のもとを訪れた興福寺の僧侶に迫ります。

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光る君へとは

光る君へとは、2024年現在、NHKで毎週日曜20時から放送されているドラマです。この枠は、特に歴史上の人物や出来事に基づいて作成されているドラマシリーズである大河ドラマとして放送されています。

今回は、1000年以上前の平安時代の日本が舞台で『源氏物語』を著した紫式部を中心に物語が展開していきます。

藤原道長の身に何が

前回の『光る君へ』では、朝廷の正殿である大極殿の元に、数千人規模の大量の僧侶が押し寄せてくるシーンが映し出されます。大極殿では都の警備隊によって追い返されてしまった僧侶は、後日、その藤原道長の邸宅の元に訪れます。

藤原道長と対談したのは、興福寺の僧侶である定澄。藤原道長に対して要求を突きつけるも、1つを除いた残りの要求を全て退けられました。全てを退けるのではなく、1つだけ許可する藤原道長の手腕と、複数の要求を出すことで通したい要求を確実に通す定澄の手腕が感じられる場面でした。

では、定澄をはじめとする興福寺の僧侶はなぜ大極殿に押し寄せたのでしょうか。

なぜ僧侶は朝廷に押し寄せたのか

興福寺の僧侶はなぜ、朝廷に押し寄せたのでしょうか。これにはある事件が関係しています。

大和国に位置する興福寺と大和守である源頼親。勢力を拡大させたい源頼親と興福寺の関係は悪化していき、ついに源頼親の家来が興福寺を侵略し、僧侶を殺してしまったのです。

そこから、報復として興福寺の僧侶が頼親の家を襲撃し、対立が激化します。この件を朝廷で話し合うと約束し、実際に朝廷で話し合いが行われたのですが、そこ内容に不満を持った興福寺が朝廷に乗り込んだ、という経緯なのです。

当時のお寺は荘園を拡大させて勢力を強めていた時代。その地域の国司を努める役人にとって、悩みの種であり、争いのもとになりやすい存在なのです。

興福寺とは

当時の国司と対立するほど勢力が強かった興福寺。どんなお寺だったのでしょうか。

元々は、山階寺という別の名前のお寺だったのですが、平城京遷都とともに、興福寺と名付けられました。その際には、藤原不比等の計画によって移築されました。

奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられるほど勢力を拡大させました。その背景には藤原の氏寺であることが関係しています。源頼親と争える力があるのも納得ですね。

しかしながら、源平合戦の戦禍からは免れられず、1180年に一度兵火で大きな被害を受けました。

時代が進むとさらに勢力が強まり、鎌倉時代・室町時代には大和国に国司が置かれないほど強大になりました。

1998年には、「古都奈良の文化財」として、ユネスコ世界文化遺産に登録されています。奈良県を訪れた際には是非とも見学したいですね。

まとめ

いかがでしたか。

この頃から、武装集団による争いが激化していきます。物語にどんな影響があるのかも注目ポイントです!
また次回の記事まで一緒に「光る君へ」を楽しみましょう!


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この記事を書いた人

東京大学では教育哲学専攻。小学校でのボランティアの経験から学校教育のあり方について模索している。趣味は旅行とドライブ。最近は高遠そばのねぎを普通は食べないことを知り、衝撃を受けた。

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