5月17日は「大谷翔平の日」。では4月15日は何の日?

野球トリビア

先日、アメリカのロサンゼルス市議会で5月17日「大谷翔平の日」と制定されました。これはメジャーリーグで大谷選手の所属するドジャースの本拠地がロサンゼルスにあることと、アメリカ政府が「5月」をアジア系米国人らの文化や功績をたたえる月間としていること、そして二刀流で目覚ましい活躍を続ける大谷選手の背番号「17」にちなんでの決定です。

メジャーリーグには数々の記念日があり、中には「大谷翔平の日」のように個人名を冠したものもあります。その中で最も有名な記念日の一つといえば、4月15日「ジャッキー・ロビンソン・デー」でしょう。この記念日はメジャーリーグの歴史の転換点にまつわるもので、すべての野球ファン、選手、監督、コーチたちにとって特別な日と言っても過言ではありません。

そこで今回は、この「ジャッキー・ロビンソン・デー」の歴史や文化的背景について、詳しくお話ししたいと思います。野球に詳しくない方でも、読めばきっとこの記念日が制定された意義が分かり、メジャーリーグの見方が変わることでしょう。

目次

ジャッキー・ロビンソンとは

まずは記念日の名前の由来となっている人物の紹介から始めましょう。

ジャッキー・ロビンソン(1919-1972)はメジャーリーグで初めてプレーした黒人選手です。1947年に大谷選手と同じドジャース(当時のチーム名は「ブルックリン・ドジャース」)でデビューし、56年に引退するまで華々しい活躍を見せました。

現在のメジャーリーグの試合には白人・黒人・アジア系と、様々な人種の選手が出場しています。今でこそ当たり前といえるその光景ですが、半世紀ちょっと前までは事情が全く異なっていました。

1964年に黒人差別をなくすための公民権法(Civil Right Act)が議会で制定されるまで、アメリカでは白人と黒人の権利は明確に区別されていました。例えば、バスなどの交通機関の座席や、公園やトイレといった公共施設などは白人用と黒人用で分離され、それが当たり前のことだとされていました。ローザ・パークスという黒人女性がバスの席を白人に譲らなかったことで逮捕されてしまい、抗議の意を示すために黒人がバスに乗らないようにする運動が広まった「バス・ボイコット事件」や、キング牧師が人種差別のない世の中の実現を訴えた「私には夢がある」という有名な演説について、学校で習ったことがある人も多いのではないでしょうか。そしてこの白人と黒人の分離は、野球界でも同じように行われていました。

運命の出会い

まだ黒人に対して公然と差別が行われていたそんな時代に、ブルックリン・ドジャースのGM(チームの編成権を持つ責任者)であったブランチ・リッキーは「このまま白人だけが居座り続けるメジャーリーグに未来はない」と考え、黒人の野球選手だけが所属する野球リーグにいたジャッキー・ロビンソンに目をつけます。リッキーGMはジャッキー・ロビンソンの野球選手としての才能だけでなく、彼の人間性や精神力にも注目していました。先述のローザ・パークスと同様、ジャッキー・ロビンソンも兵役中に黒人専用のバスに乗車するのを拒否する(最終的に無罪放免となる)など、非暴力的な方法で黒人の地位向上を訴える活動をしていたのです。

彼なら野球界の歴史を変える存在になれると思い、メジャーリーグの人種の壁を打ち破るべく、リッキーGMはジャッキー・ロビンソンをドジャースにスカウトします。最初は観客どころか、チームメイトでさえも彼に対して「黒人だから」という理由だけで拒絶反応を示す人がいました。しかしリッキーGMはジャッキー・ロビンソンに「決して差別をしてくる人間に対して敵意を抱いてはいけない」と諭し、彼もまたその誓いを忠実に守ります。

強い精神力であらゆる非難や攻撃に耐え、時には家族にまで危害を加えられそうになりながらも、彼は持ち前のパワーとスピードを活かした素晴らしいプレーを通じて、自分の存在を周囲に認めさせていきました。ドジャースに在籍していた10年の間で6度の優勝に貢献、さらにオールスターに6度出場、1949年にはリーグMVPになるなどの輝かしい成績を収め、1962年には野球殿堂入りも果たしました。彼は本当に野球を通じて、人種の壁を打ち破ることに成功したのです。

その功績を称え、メジャーリーグ機構はジャッキー・ロビンソンのデビュー50周年となる1997年、彼がつけていた背番号「42」を全チームの永久欠番としました。また、2004年には彼がデビューした日を記念して、4月15日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」と制定しました。今では毎年4月15日になると、彼の偉業に敬意を払う意味を込めて、選手だけでなく監督やコーチも含めた全員が「42」の背番号をつけた特別なユニフォームを着用して、試合が行われています。ジャッキー・ロビンソンは人種の架け橋の象徴として、今もなお人々の心に息づいているのです。

おわりに

いかがでしたでしょうか。私たちが今の時代に日本人選手の活躍を楽しむことができているのも、このような歴史があったからこそと言えるかもしれませんね。一野球ファンとしては、いつかメジャーリーグで「ショウヘイ・オオタニ・デー」が制定されるくらいの、大谷選手の更なる活躍を期待せずにはいられません。「ジャッキー・ロビンソン・デー」の他にもアメリカ球界には様々な記念日があるので、興味が湧いた方はぜひ調べてみてください。この記事がみなさんにとって、少しでも野球にまつわる歴史・文化などに興味を持っていただくきっかけになれば幸いです!


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この記事を書いた人

塾の教え子の受験失敗を機に30歳で東大受験を決意し、1日3時間の勉強で3年で合格。東大文学部を卒業して、現在はキャリア15年目のプロ家庭教師・塾講師業に携わる傍ら、ドラゴン桜noteマガジンの編集長を務める。趣味は野球とビリヤード。

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