日本がふるさとの「外国人」の話 第3回

日本がふるさとの『外国人』の話③
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出身地当てごっこ

大学の卒業式が終わり、桜が散りかけた頃、大学1年生のときに知り合ったチリ出身の友達と3年ぶりに日本で再会することになった。彼女が東京大学に交換留学生として勉強しに来ていた当時、私は大学の授業でスペイン語を学んでいたため、よく休み時間に互いの語学授業の課題を添削しあったり、試験勉強を手伝ったりしていたのだ。彼女は半年間の留学で日本に来ていたため、私が大学2年生になる前の春休みにチリに帰ってしまった。ちょうど桜が咲き始める少し前のことだった。

その後、コロナウイルスが蔓延し、世界中で外出制限がかかる中、時間をみつけてはビデオ通話をしたり、インスタグラムのDMでやり取りをしたりと、連絡を取り続けていた。そして、今年の春、念願かなって日本にまた遊びに来たのだ。

彼女の滞在中、日本食を食べたり東京近郊の観光名所を巡ったり、一緒に日本での生活を満喫していたが、楽しい時間も長くは続かず、とうとう彼女がまた帰国する日が近づいてきた。最後にどこに行きたいか尋ねると、浅草にしようという答えが返ってきた。

3年前、最後に一緒に遊んだ場所も浅草だった。当時、スペイン語と英語を交えて会話しながら人であふれる通りを歩いていたとき、彼女がふとスペイン語で漏らした一言を私はよく聞き取ることができなかった。確か「キモノ」のような言葉を何度か言っていた気がしたが、スペイン語を習い始めたばかりの私は、ただニコニコしながら”Sí(うん)”と答えることしかできなかった。帰り道に考えを巡らせていると、彼女はあのとき「私も着物を着てみたいな」といったことを言っていたことに気づいたが、もう遅かった。

だから、また浅草に行くことが決まったときには、そのときにかなえられなかった希望をかなえようということで、着物を着て街を巡ることにしたのだ。駅近くの着物レンタルショップに行き、私が彼女の代わりに説明を聞いて用紙に記入した。彼女は私の隣に立って私の通訳を聞いていたが、店員が私に「日本語上手ですね。」というのを聞いてはニヤニヤ笑っていた。

ついに着物を選んで着付けも終え、二人で観光客の戻った浅草の通りに出かけて行った。「着物ってこんなに窮屈なのね」といいながらも、どこか嬉しそうに歩く友達の横で、私もなんとも言えない満足感に浸っていた。そのとき、突然友達の背後から声がかかってきた。

「アーユーフロムネパール?」

「…?!」

「…アーユーフロムネパール?」

「…。」

呆気に取られる彼女を前に、犬を連れた近所の人らしい中年の女性が、畳みかけるように聞いてくる。

“No, she’s not.”

いら立ちが漏れた声で私が返事をし、その場を立ち去ろうとすると、また声がかかってきた。

「アーユーフロムスリランカ?」

そのまま通り過ぎようとしたが、友達が困った顔でたたずんでしまったため、立ち止まって私がかわりに答えた。

“No, she is from Chile, and I’m an Indian.”

「ウェア…?」

「彼女はチリ出身です。」

「あ、そうなんだ。」

「はい。」

「あなたは日本に住んでるの。どこで日本語習ったの。」

相手の様子にはかまいもせず、ひっきりなしにあれこれ聞いてくる。何とかその場を離れて私が大きくため息をつくと、彼女も小さくため息をついて、

「肌の色が褐色だからかな。」

と苦笑いしながら言った。

その後しばらくして、帯の圧迫感に耐えられず私服に着替えて夕方の東京をゆっくり散歩することにした。帰り際に、

「もうすぐ日本での時間も終わりだね。」

と私が言うと、

「でも今回は桜がたくさん見れて本当によかった。ちょうど桜の時期に遊びに来れるように、いろいろ調整したの。すごく嬉しい。」

と彼女は満面の笑みで答えた。

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この記事を書いた人

東京大学では、法学を専攻。人権問題や環境問題に関心があり、学部卒業後は公共政策大学院に進学(予定)。高校時代から遅くとも22時半には就寝する、極度の朝型。趣味は、ランニング・映画鑑賞・サッカー観戦など。

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