日本がふるさとの「外国人」の話 第4回

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毎日カレー食べてるの?

出身を聞かれて「インド人です」と答えると、相手の口から決まって出てくる単語がある。

カレー。

「インドカレーおいしいですよね。」

「私、インドカレー大好きなんです。」

「今度、一緒にインドカレー食べに行きましょう。」

「私も、家でときどきスパイスカレー作るんです。」

何かの魔法にでもかけられたように、インドという単語を聞くやいなや、話題は瞬時にカレーに切り替わる。なぜ自分のルーツがここまでカレーと強く結びついているのか、わたしにはいまだにわからない。

少なくとも私の家族でカレーが話題に上がることなんてほとんどない。インド料理店だって、家族で行ったことなど一度もない。ほかのインド人の知り合いと話していても、カレーが話題にあがった記憶なんてない。

しかし、外に出て人に自分の出身について話すと、それは呪文のように耳に入ってくる。

カレー、カレー、カレー、カレー、カレー…

たしかに、共通の話題を通して、親しみをもってもらえるきっかけをみつけたくなる気持ちは、嫌というほどわかる。わかりやすいイメージを手がかりに、なんとか会話を盛り上げたくなるのもわかる。街中にインド料理店があふれ、テレビのグルメ番組でもよく取り上げられる中で、インドという話題に対してカレーがもっとも手軽につかえるキーワードに思えるかもしれない。

しかし、少し想像してみてほしい。あなたが海外にしばらく住んでいるとする。ときどき見知らぬ人と会うと出身地を聞かれることがあり、あなたは「日本人です」と答える。すると、相手は即座に「SUSHIおいしいですよね」と返事をしてくる。これが、一度に限らず、日常的に何度も何度も繰り返される。

疑問に思えてこないだろうか?「日本人」という自分の出身地やルーツとお寿司は、なんでまるで切っても切れない関係にあるように思えるのか。自分のアイデンティティは、なぜ瞬時に食べ物にすり替えられてしまうのか。自分は、SUSHIを代表して、この国に住んでいるのか、と。

でも、やっぱりインドといえばカレーだし、気になるのはしかたがないではないか。そんな声も聞こえてくる。実際、「毎日カレー食べてるんですか?」という純粋な好奇心ともとれるような質問もよくされる。

でも、これも考えてみてほしい。「毎日SUSHI食べますか?」と聞かれて、「食べます」と答える人なんて何人いるだろう。海外に長年住んでいる日本人に、「毎日味噌汁飲みますか」と聞いたら、きっと「そんなわけないでしょ」という答えが返ってくるだろう。米すら食べない日だって、あるかもしれない。

私は、カレーと全く縁のない生活を送っていると言いたいわけではない。カレーが代表的なインド料理であることを否定しているわけでもない。カレーを一切話題に出さないでくれと言っているわけでも、もちろんない。ただ、日本には寿司以外にもさまざまな日本料理があるように、たとえば中国には地域によってさまざまな料理の特色があるように、インド料理もカレーがすべてではない。また、日本にも料理以外にさまざまな文化や伝統があるように、世界中の国にはその国の歴史の系譜から脈々と引き継がれる多様な文化や伝統がある。

そして、私はあなたと話しているとき、インドを代表して話しているわけでも、カレーを代表して話しているわけでもない。一人の人間として、もう一人の人間と会話を楽しんでいるのだ。だから、目の前にいる「わたし」と向き合って話してほしい。ただそう願っているだけである。

何もそんなに難しいことではない。「インドに住んだことはありますか」や「インドのどこ出身なんですか」など、その人の経験に関心をもって質問すればいい。特に聞きたいことがなければ、「へぇ〜」と受け流して、「休みの日は、何をするんですか」と自分の話したいことを話せばいい。

「人」と向き合う。ただ、それだけ。

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この記事を書いた人

東京大学では、法学を専攻。人権問題や環境問題に関心があり、学部卒業後は公共政策大学院に進学(予定)。高校時代から遅くとも22時半には就寝する、極度の朝型。趣味は、ランニング・映画鑑賞・サッカー観戦など。

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