御上先生で話題!『パーソナルイズポリティカル』個人的なことは政治的なことってどういうこと?現役東大生や本物の官僚にも聞いてみました!The personal is political

こんにちは!メディア事業部の鈴木です。本日はTBSの日曜劇場『御上先生』でよく使われている『(ザ)パーソナルイズポリティカル(The personal is political)』について詳しく解説していこうと思います!

御上先生ではよく『パーソナルイズポリティカル』は『個人的なことは政治的なこと』と訳され使われています。そもそもこの言葉は誰が言い始めた言葉なのか?どういう意味なのか?御上先生ではどうやって使われている?また、現役の東大生や御上先生のような官僚にも意見をもらってきました!

『(ザ)パーソナルイズポリティカル(The personal is political)』について紹介させていただきます!

目次

そもそも誰が言い始めたのか?

1970年の『The personal is political』と名付けられた論文には、『これらのグループで私たちが早期に見つけたことの1つは,個人的な問題は政治的な問題であるということである。』(筆者訳)と書いてあります。

しかし、この論文を書いたキャロル・ハニッシュ自身は2006年に
『私がその論文に「個人的なことは政治的である」とタイトルをつけたのではなかった、ということを記録として明確にしたい。私が知っている限り,それはNotes from the Second Year の編集者であるシュリーファイアストーンとアンコートによってつけられたのであり,キャシーサラチャイルドがそれを初期の選集の中で印刷されうる論文として2人の注意を引き寄せた後のことである。また、「政治的」はここでは権力関係に関係するものとして言葉の広い意味で使われており、選挙政治に関する狭い意味ではない。』(筆者訳)と言っています。

どういう意味なのか?

先程のキャロル・ハニッシュの論文の中では、キャロル・ハニッシュ自身は『女性が家庭内や職場、日常生活で直面する問題(例えば、家事の負担の不均衡、性的ハラスメント、賃金格差など)が、単なる個人的な不満や努力不足ではなく、社会制度や権力関係に根ざした構造的な問題であるという視点である。』ということを強調しています。

つまり、『社会構造そのものが個人の経験と不可分である(わかりやすく言うのなら、切り離せない)』ということです。

「個人の経験が社会構造と不可分である」というのは、私たちが日常で感じることや経験する問題は、単に個人の性格や能力の問題ではなく、社会全体の仕組みやルール、文化的な価値観と深く結びついているということです。

また、例えば、下記の記事においては日経XWOMEN【DUALな名言】個人的なことは政治的である

子育ての問題(保育園への入園、預かってもらっていても熱が出るかもしれない)に対して、保護者は孤独(一人、個人)である。しかし、実際はその問題は政治的であるということを示しています。個人的にも子育ては、例えパートナーがいたとしても2人、どうしても孤独を感じてしまうことに対しては、非常に納得ができます。個人的なことは政治的なことだと言えます。

どういうシーンで使われるのか?

ここでは、実際の書籍の中で『個人的なことは政治的なこと』がどのように使われているのか?というのを、書籍から引用しつつご紹介させていただきます。

『ラディカル・フェミニズム再興』 江原由美子 (1991)勁草書房

・(3)女性の個人的経験は、私生活領域にまで及ぶ性支配の文脈で理解されるべきであり、たんに個人的だからといって切り捨てられてはならない。個人的なことは政治的である。(p47)
・社会における権力作動の回路に対して、従来の社会理論とは決定的に異なる資格を呈示したことにある。(中略)個人的経験を政治的な文脈で読むという意味に置いて、主体、手感性を社会の効果として位置付ける理論を予感させており。(p49)
・個人的経験と社会的政治的なことを峻別し、個人的経験は社会的政治的な話題としてはふさわしくないと規定する認識装置である。(p53)
・主観性・個人的経験・感情・私生活は、(中略)それ自体社会が産出する装置なのであり、その装置の中にこそ、権力作動の回路が存在するのである(p55)
個人的なことと政治的なことを切り離す認識装置が、女性が自己主張することを効果的に妨げている権力装置として機能していることを主張する論として位置づけることが可能である(p55)
・(1)主体と社会構造、(2)社会構造と社会変動という二元論を否定し、行為者による社会の構造化、すなわち行為に内在する権力作用という観点から社会を分断するものであり、それは主体に関わる認識装置や個人的なことと政治的なことの分節など理論的な認識装置を問題化することで、(3)言語を社会分析の中に据えているのである。(p57)

『ラディカル・フェミニズム再興』 江原由美子 (1991)勁草書房から引用

『「個人的なもの」と想像力」』 吉澤夏子(2012)勁草書房

第1章平等-自由で対等な関係
フェミニズムに置いて、個人的なもの/政治的なものの区別は、性差別の根源を成すものとして捉えられている。個人的なもの(私的なもの)=女性/政治的なもの(公的なもの)=男性という近代社会の二元論的な枠組みは、性別役割分業の規範として機能し、性差別的な社会構造を生成・強化してきた。したがって、「個人的なことは政治的である」というフェミニズムの基本的なテーゼは、この区別自体の消滅を志向している、ということもできる。しかしそれは最終的に、個人的なものの消滅という破壊的なインプリケーションを導く。そのために、「個人的なことは政治的である」というテーゼは、その内容が必ずしも周到に吟味されることなくスローガンとして使われている一方で、経験的な事実としては、誰もがこの区別(公私区分)を受け入れている、という捩れた状態がつづくことになった。「個人的なもの」や「政治的なもの」がいったい何を意味するのか、をめぐる繊細な議論はあまり行われてこなかったのである。(p1〜2)

『「個人的なもの」と想像力」』 吉澤夏子(2012)勁草書房から引用

『ベル・フックスの「フェミニズム理論」』 ベル・フックス(野崎ら訳) (2017)あけび書房

 「個人的なことは政治的なことである」というスローガンは、女性の日常的な現実が政治によって、すなわち社会の仕組みによって特徴づけられ、形づくられ、そのために必然的に政治的であるということを強調するために用いられた。そして、このスローガンはしばしば、女性たちに差別や搾取や抑圧を体験することがそのまま、その人間の社会的地位を形づくっている観念的で制度化された装置を理解することにつながっていると思わせるための手段にされてきた。

『ベル・フックスの「フェミニズム理論」』 ベル・フックス(野崎ら訳) (2017)より引用

・御上先生で『パーソナルイズポリティカル』が出てきたシーン(ここは随時更新していきます!)

次は、日曜劇場『御上先生」で、どのように使われていたかをご紹介させていただきます。
吹き出しの部分は筆者がドラマのセリフを文字起こししたものです。以下、ネタバレ注意。

御上先生第1話

御上先生『パーソナル?え、何?』
御上兄『個人的なことは政治的なこと
御上先生『何それ』
御上兄『そういう言葉があるんだよ』
御上先生『どういうこと』
御上兄『個人が抱える生きづらさ、個人でなんとかしろってなりがちだけど、じつは社会的な問題。つまり政治が解決すべき問題だって意味なんだよね。この説明で分かる?』

神崎くんをを叱責するシーン
御上先生『パーソナルイズポリティカル
神崎『は?』
御上『個人的なことは政治的なこと

(回想)御上兄
パーソナルイズポリティカルって言葉があってさ』

解説:不倫(パーソナルなこと)に対して、それで辞めさせられたのが女性教師。一方の男性教師は他のところでを仕事している。それっておかしくないか?ということを御上先生は問います。
神崎にそこまで考えてやっている?つまり、処遇はポリティカルな部分に関わってくるけど、そこまで考えている?と。

御上先生第4話

東雲温『パーソナルイズポリティカル。個人的なことは政治的なこと。』

解説:この4話では、東雲温にフォーカスが当たっています。東雲の親は学校教師、独自の授業をする先生。でも、独自な授業のせいで、学習指導要領から外れていた授業をしていたことから辞めさせられてしまいました。受けていた生徒はその授業が特別な授業だったからこそ、面白くも感じていました。そして、東雲の父が辞めさせられたことをきっかけに東雲の家庭環境は不安定になっていきました。
ここでの一見パーソナルに見えることは東雲温の家庭環境、そしてポリティカルな部分は教科書検定や制度に見えます。しかし、そのパーソナルな東雲の家庭環境を作った原因は、ポリティカルなものによるという。これらをを通じて「パーソナルイズポリティカル」を伝えたかったのように筆者は思います。

現役東大生の考える『パーソナルイズポリティカル』、具体例など

現役東大生2人に、「ザパーソナルイズポリティカル」についてどう思うか?また具体例などを聞いてきました!

東京大学後期教養学部 生島光流

有斐閣から出版されている『国際政治学』の3章の冒頭で、「政治」とは「関係者の同意に基づく価値配分」と定義されている。この意味においては、政治は国会であったり外交であったりの政府の役人で国にまつわる事象を取り決めることに限定されない。例えば、学校の文化祭でクラスの出し物を決めること、自宅で1つのケーキを兄弟間で分けることもまた政治だと言える。つまり、複数人の間で合意を目指して話し合いや議論がなされさえすれば、それが日常の当たり障りのない会話でさえも政治になる。自分は、ザパーソナルイズポリティカルの標語には強く共感できるし、むしろ、上記のような現代の「政治」の定義からすれば当たり前のことである。

ただし、個々人の日常にも政治が溢れかえっている以上、社会全体で見たときには様々な政治で溢れかえり、もはや個人では対処しきれないような事態も生じる。この点において、脚光を浴びるのが政府である。政府はやはり「政治」のプロが集まっていることは間違いない。個々人の政治的な事柄を、社会全体の政治的な事柄の文脈へ落とし込んで解決に向かうことが必要なのではないか。

具体例: 学園祭での出し物決め。
クラスで行える出し物は1つのみ(限度がある)一方で、出したいものは生徒それぞれで異なる。いかにしてクラス全員の合意を勝ち取った上で出し物を決定するか。クラス内での学級会議は、日常を共に過ごしている人たちのみで構成されているため非常にパーソナル。
一方で、出し物を決める際には、意思表示や、根拠の説明、多数決での決定などを要する点でポリティカル。

東京大学 A.Y.さん

個人的なことは政治的であるについて。
元々の発言は,フェミニズムの文脈から女性をバラバラな個人に分けておくことからの解放に強い意味があるように思われます。

女性を閉じ込め,そこに押し込めておく。そのことによって,女性が抑圧されていることが徐々に常態化する。すると,彼女たちは声をあげることや抗議を行うことや集団でデモを行うことに対して無関心になっていく。このような状態を看過できないものとして考えていたことから,この標語が生まれたのではないか,そのように感じられます。

確かに,このような標語はわかりやすいかもしれません。しかし,この標語を作るきっかけとなった本人も述べているように,標語は広まり方に非常に注意しなければなりません。個人的なこととは一体なんだろうか。政治的であるということの意味とは何か。そこを曖昧なままにしてこの言葉だけを用いることは,言葉の独り歩きを助長し,場合によっては全く関係のない意味に捉えられかねません。御上先生も作中で述べていますが,「考えて」ということは忘れてはならない。作中のどれだけ印象的な言葉であっても,考えることをやめてはならない。そう思います。

本物の官僚に『パーソナルイズポリティカル(個人的なことは政治的なこと)』について意見もらってみた

知り合いの官僚に『個人的なことは政治的なこと』についてどう思うか?と聞いてみました!匿名で所属も出せないという点を留意して頂ければと存じます。

ドラマで登場する「個人的なことは政治的なこと」というフレーズは、本来のラディカル・フェミニズムの文脈からは離れ、個人的な問題とみなされがちな問題が政治的なイシューになりうる、という意味で用いられています。

政治と聞くと、多くの人は国家や共同体が行う「まつりごと」としての政治を想像されるかもしれません。しかし、「政治」という言葉はより広い意味を持ち、2人以上の人間集団が意思決定を下し、それを実行することもまた「政治」と呼ぶことができます。クラスや職場での意思決定(「社内政治」という言葉もあります)、果ては今晩の我が家の夕食のメニューを決めることすら「政治」なのです。

政治の単位が小さくなるほど、その性格は個人的になっていきますが、こうした大小様々な政治は、一見関係がないように見えて実は複雑に繋がりあっています。そのような意味において、「個人的なことは政治的なこと」なのではないでしょうか。

また、官僚という「まつりごと」としての政治に極めて近いところで働いていると、大きな政治の内部にも様々な小さな政治が存在することに気づきます。大々的に報道されるような大きな政治的イシューは極めて少数で、全く議論されない小さなイシューのほうが圧倒的に多いのです。小さなイシューであっても重要ではないわけでは全くないので、どんな仕事でも真摯に対応することが重要だと思っています。


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この記事を書いた人

出版編集部、メディア事業部。現在はメディアに限らず多くの学生のディレクションを行っている。大学生の頃は、空手等の武道に勤しむ。趣味はHIPHOP、アニメ鑑賞、マンガ、TCG。

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