上野にある東京都美術館は特別展や企画展、公募団体展など多種多様な展覧会を開催しています。今回は8月29日まで東京都美術館にて開催中の「デ・キリコ展」にお邪魔してきました!
絵画用語解説
前回のレポートしたマティスは20世紀のフランス画家で色彩の魔術師とも呼ばれたフォービズムの中心人物です。一方今回のデ・キリコは20世紀初頭のイタリアで活躍し、形而上絵画を代表する画家です。今回新しく出てきた専門用語や知識もあったので、初めに解説していきます。
ジョルジョ・デ・キリコとは?
形而上派(後述)を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた人物として知られるジョルジョ・デ・キリコ。「ピカソが畏れた。ダリが憧れた。」と言われるほど美術史における影響力の強いデ・キリコですが、一般に評価されている形而上絵画はたった10年間で描かれた作品ばかりです。今回のデ・キリコ展では、彼の描いた形而上絵画、古典回帰絵画、そして新形而上絵画へ発展した作品を余すことなく楽しむことができます。
なお、初期の作品ばかりが評価されたことが気にいらなかったデ・キリコは、自分の名誉や収益のためにも自己模倣作品を大量に制作していたといいます。そのような行為が非難されることもありましたが、これは当時の前衛主義への対抗だといいます。
形而上絵画の特徴は無関係に思えるモチーフを組み合わせたもの。絵に込められた思いは決してわかりやすくはありませんが、夢で見るような神秘的な絵画の数々を見ることができます。
形而上派
形而上派は、20世紀初頭のイタリアでデ・キリコとC・カッラが始めた芸術運動、ひいてはその絵画のことを指します。具体的には一見無関係に思えるものを歪んだ空間に配置することで、不安で神秘的な雰囲気を醸し出すような絵画です。
《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》1959年、油彩・カンヴァス, ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団, © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma, © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
この絵画運動自体は10年もせず終わりを迎えますが、その後のシュルレアリスム絵画の先駆となりました。デ・キリコの作風が運動全体の様式となり、デ・キリコ自身はこの様式を「絵画という手段によって物体の新しい形而上学をつくる試み」と表現しています。実際にその絵画は、常識にとらわれず、夢に登場するような世界だと評論されます。
マヌカン
マヌカンとは、いわゆるマネキンのことです。人を描く練習をするために用いられることも多いマネキンですが、デ・キリコはそんなマヌカンに意味を持たせ、主要なモチーフとして描いています。
新形而上絵画
デ・キリコは晩年10年ほどの間、再び形而上絵画に取り組みます。初期作品の模倣ではなく、若い頃に描いた広場やマヌカンなどさまざまな要素を画面上で結合したのです。彼が自身の作品を再解釈し、新しい境地に達したものを「新形而上絵画」と呼びます。
前衛主義
第一次世界大戦後にヨーロッパで広く行われた絵画運動であり、当時はシュルレアリスム、抽象絵画などの芸術運動を指していた。
デ・キリコはシュルレアリスムに大きな影響を与えた反面、前衛主義に対して批判的な立場であり、前衛主義に対抗するために古典芸術への回帰を行った。
古典主義
ここでいう古典とはヨーロッパ文明の起源である古代ギリシア・ローマの学芸・文化、およびそれを模範としたルネサンス期やバロック期の芸術を指します。実際にデ・キリコもルネサンス期の巨匠たちやバロック期の大画家ルーベンスらの作品に影響を受け、ネオ・バロック調の作品を描いています。
「デ・キリコ展」体験レポート!
いよいよ、デ・キリコ展のレポートに入っていきます。展示順にご紹介していきます。
自画像・肖像画
まず最初に目に入るのは、デ・キリコが生涯に渡って描き続けた肖像画です。その鮮やかな色使いが特徴的なデ・キリコは、どこかルネサンスを彷彿とさせるような写実的な肖像を描きます。20世紀に活躍した当時の画家にとってルネサンスは古典であり、当時力を強めていた前衛主義へのデ・キリコなりの対抗といえます。
単に美しいだけの肖像画ではなく、ここでもデ・キリコなりの違和感が登場します。
《弟の肖像》1910年、油彩・カンヴァス, ベルリン国立美術館, © Photo Scala, Firenze / bpk, Bildagentur fuer Kunst, Kultur und Geschichte, Berlin, © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《弟の肖像》は一見すると構図の綺麗な肖像画に思えますが、背景にはケンタウロス描かれています。現実の夢の調和のような、不思議な印象を受けます。
初期の形而上絵画
デ・キリコは同世代を生きた画家であるアンリ・ルソーや哲学者のニーチェの影響を強く受けています。
そうして誕生したのがデ・キリコなりの表現による形而上絵画です。なかでもイタリア広場を題材に数多くの作品を描きました。今回展示されている《バラ色の塔のあるイタリア広場》もその一つです。この絵画では遠近感はきちんと表現されているように感じますが、しばらく眺めていると微妙な遠近感のズレに気がつきます。そのほかにも影の伸び方が不自然だったり、彫刻が見えなかったり。作品を追うごとに、単純な遠近法だけでなく側面からの見方を導入したデ・キリコは次第に形而上的絵画の手法を確立していくようになります。
このブロックには最晩年に描いた「イタリア広場」も展示されており、デ・キリコが生涯を通して貫いた物事の捉えかた、筆遣いの変化が感じられます。
形而上的室内
絵画を見るよりも前に、初めに耳に入ったのは、周りの方々からの「わからん」の声でした。
それも無理はないのかもしれません。先ほどよりも、全く関係のないように思えるモチーフが並べられています。第一次世界大戦下においてキリコも例外なく軍に召集されることとなり、不十分な画材の中、どこか窮屈な印象を与える室内をテーマとした絵画の数々を生み出しました。
《福音書的な静物Ⅰ》, 1916年、油彩・カンヴァス, 大阪中之島美術館, © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
《福音書的な静物Ⅰ》は形而上絵画の一つで、他のデ・キリコの作品と比べると色使いも暗く、色々なモチーフが詰め込まれていて、窮屈な印象を与えます。定規や窓、ビスケットなどバラバラなモチーフと、赤、青、緑と統一感のない色使いはポップな印象も与えます。
これらのいわゆる形而上絵画は年代順に展示されており、初期の形而上絵画と、晩年の新形而上絵画がどちらも見られるのが特徴的。一般に評価されていたのは初期の形而上絵画のようですが、晩年の絵画は抽象化された対象が描かれていて、個人的には新形而上絵画の方が惹かれました。
さらに奥へ進むと《神秘的な水浴》と呼ばれるシリーズが展示されています。
デ・キリコはジャン・コクトーの小説『神話』のために挿絵を作成していました。それに伴い描かれた《神秘的な水浴》シリーズは、着衣の荘厳な男性に対する敬意とも取れる写実的な描かれ方と、裸の男性を馬鹿にするかのような単調さのコントラストが面白く、今までの絵画とは別の雰囲気で違和感が表現されています。
2階へ上がって、いよいよマヌカンへ
デ・キリコといえばマヌカンです。本展のポスターにも採用されるほどデ・キリコのイメージが強いマヌカンですが、当時の画家間では定番のモチーフだったようです。ただし他の画家とは異なり、デ・キリコはマヌカンを「理性的な意識を奪われた人間のモチーフ」として描いていました。第一次世界大戦を経験したデ・キリコは戦争を起こした人間、モノ同然に扱われた人間を、マヌカンを用いて暗喩しているのではないかとも言われています。
理性的な意識を奪われた、と聞くと暗い絵が並ぶのかと身構えてしまいますが、必ずしも暗い絵ばかりではありません。詩人や考古学者などの職業人にマヌカンを重ねたり、ミューズを描いたり、自身の職業である画家を重ねたり。
《形而上的なミューズたち》1918年、油彩・カンヴァス, カステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館(フランチェスコ・フェデリコ・チェッルーティ美術財団より長期貸与), © Castello di Rivoli Museo d’Arte Contemporanea, Rivoli-Turin, long-term loan from Fondazione Cerruti, © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
また、初めは均一な色使いで描かれているものの、次第に精緻な筆のタッチが加わり、青空を背景に淡く鮮やかな色使いに変化してくるのも感じられるでしょう。これは先ほども述べたような古典への回帰を表したもので、前半よりも柔らかく暖かな印象さえ与えてくれます。
《南の歌》1930年頃、油彩・カンヴァスウフィツィ美術館群ピッティ宮近代美術館
© Gabinetto Fotografico delle Gallerie degli Uffizi
© Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
芸術を現実に近づける、彫刻ゾーンへ
ここでもメイン展示のモチーフはマヌカン。騎士や考古学者など、絵画中にも描かれていた対象が、立体的な意味でより完成されて表現されています。特に心に残ったのは「抱擁」。粗雑な表現が捨象され、形而上の騎士と女が表現されているからこそ、冷たいはずの彫刻から、会えた喜びや震えが感じられたのでしょうか。デ・キリコはマヌカンを「理性的な意識を奪われた」存在としてではなく、何か別の意味を重ねていたように感じられます。
1920年代のキリコと絵画
次に焦点が当てられたモチーフは、家具と戦士です。ニーチェなどの哲学者にも影響を受けていたキリコは「生の無意味さ」を表現するようになります。先の形而上絵画を思い出させるような構図、モチーフにも色使いも相まってどこか控えめな印象。しかし違和感を生む画風は変わらず、《緑の雨戸のある家》など形而上的室内を描いた作品も多く存在しています。
《緑の雨戸のある家》, 1925-26年、油彩・カンヴァス, 個人蔵
© Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
古典への回帰
デ・キリコの芸術家人生の中で重要な役割を占めているのは、やはり古典回帰の芸術作品たちです。過去の偉大な巨匠たちの傑作から、その表現や主題、技法を研究し、その成果に基づいた作品を描くようになります。
前半は確かに古典美術を参考にした筆遣いの作品が多く、静物も多く描かれています。ただ「鎧とスイカ」のように個性が出ているものも多くあり、古典芸術とデ・キリコならではの画風が協調している点が非常に興味深いです。
《風景の中で水浴する女たちと赤い布》1945年、油彩・カンヴァス, ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団
© Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma
© Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
その後フランスに帰ってからも古典美術を断続的に描いており、デ・キリコの作品の幅広さに驚くばかりです。
いよいよ最終章「新形而上絵画」へ
これらの作品が初めに展示されていたら、私は頭を抱えたことと思います。一見すると今までの形而上絵画のようにも見えますが、元となるモチーフや込められた思いもわからず、「なんか素敵だな」に終始してしまっていたと思います。
しかし冷静に一つ一つを眺めてみると、それらは彼が取り上げてきたモチーフの組み合わせで、より抽象度が増したり、モチーフが複雑になりわかりにくくなっているのです。むしろ深い意味が込められているように感じられる数々の作品は、デ・キリコ展の締めくくりにふさわしい迫力がありました。
《オイディプスとスフィンクス》1968年、油彩・カンヴァス, ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団
© Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma, © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024
最後に
私は美術用語やデ・キリコの人生を全く調べずに行ったのですが、それでも十分に楽しめるほどわかりやすい作品も多かったです。
さらに、デ・キリコに焦点を当てた展示会は日本ではなんと10年ぶりとのこと。東京での展覧会の後は神戸にも巡回するので、お時間のある方はぜひ行ってみてください!
展覧会詳細
展覧会名:デ・キリコ展
会期:2024年4月27日[土]~8月29日[木]
休室日:月曜日 ※ただし8月12日[月・休]は開室
開室時間: 9:30~17:30、金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)
会場:東京都美術館
観覧料金(税込):一般 2,200円、大学生・専門学校生 1,300円、65歳以上 1,500円、高校生以下無料
※土曜・日曜・祝日及び8月20日 [火] 以降は日時指定予約制(当日空きがあれば入場可)
公式サイト:https://dechirico.exhibit.jp/